ミスターMのおいしい旅の話「次の旅はここへ行け!」
Vol.18

Vol.
18

マダムヨーコの極私的トラベルリポート~ニース編

Hotel Majestic Barriere

ミスターMファンのみなさま、お邪魔いたします。マダムヨーコでございます。ほぼ1年ぶりのコラボ企画(という名の乗っ取り企画)発動です。といいますのも、ミスターは年明けから、もう、ずーっと、ずーっとピンボールの玉状態。帰国なさったかしらと思うと、数日後にはまた旅立ってしまわれるのです。ご本人も「メルマガで報告したいことがたくさんあるんだよ?」と嘆いておられますが、いかんせん時間がない。そこで、マダム再登場と相成りましたのよ。

パリでベタな観光に明け暮れて・・・

「ハロー、マダムヨーコでございます。あらっ、ミスターじゃありませんの。今、どちら・・・えっ、トランジットのクアラルンプール?んもう、仕方ありませんわね。その代わり超ゴージャスなエステサロンのチケッ、あっ、もしもしっ、もしもしっ!?」・・・肝心なところで電話が切れました。そんなわけで改めまして、「マダムなのにヘルプ」のマダムヨーコでございます。

卒業旅行シーズンがはじまる直前、業界的にはあらゆる料金が底値の時を狙ってパリに行ってまいりました。ひとところに腰を落ち着けて、じっくりと街歩きを楽しみたいマダムと違い、今回の同行者はスーパーアクティブ派。ま、こんな旅もたまにはよかろうと鷹揚に構えていたのですが、早朝起床でエッフェル塔登頂→凱旋門登頂→シャンゼリゼからモンテーニュ大通り徘徊→ルーブル美術館攻略→ムーランルージュ観劇と、何かに追われているような強行スケジュールが続く毎日に、さすがのマダムもヘトヘト。ついに閉店間際(そんな時間まで活動中)のカフェ・ドゥ・マゴ、かのボーヴォワールがくつろいだというテーブルにてワインボトルを次々と空け、「わたくし、このままでは死にますっ」宣言。

そうだ、ニースに行こう。思いつきin カフェ・ドゥ・マゴ

すると同席していた地元の友人が「ママが今ニースに住んでいるの。すっごく素敵なところよ!」と誘い水。「それだっ」。大酔っぱらいでホテルに戻ったわたくしたちはすぐにネットでエアチケット確保。早朝便でニースに向かうことになりました。まんまと寝過ごして乗り遅れ、シャルル・ドゴールからオルリー空港まですごすご移動したのも、今となってはよい思い出ですわ?(強がり&涙目)。

ニース、そこは曇天のパリと同じフランスとは思えないほどスコーンと抜けた青空が広がる別天地。リヴィエラの華。そして清川虹子が死ぬまで愛した場所(なぜ清川虹子!?)。オフシーズンのせいか、どことなくぼんやりした雰囲気の空港を出てバスに乗ると、うーむ。ここにもいましたか、ニューリッチ層のチャイニーズ&ロシアン。なんとなくみなさんニコニコしているように見えるのは、やはりこの気持ちよい空気のせいからかしらん?そしてバスはメインストリート、プロムナード・デザングレへ。わあ、アジアのビーチとも、ハワイとも全然違う!

これがヨーロッパのビーチリゾートの実力

そこには、なんというか「ビーチです!」「リゾートです!」「頑張ってます!」みたいな気負いが全くないのです。たまたま街のすぐ横に海があるような、「それも素敵ね、じゃあ別荘でも買いましょうか」的なナチュラル感。つまり、ここでリラックスして欲しいのは、あくまでも時間とお金にゆとりのある大人だということが丸わかり。これがヨーロッパ老舗リゾートの実力なのですね?。

丸くてつるつるした石と白くて密度のある砂が続くビーチには、服を着たまま寝ころんでのんびり日光浴をしている年配カップルの姿も。「わたしたちも・・・?」「やめましょう。なんかかわいそうな感じが漂いすぎるもの」。そうー、そうなんですのよー。都市部ではさして気にならない身体的な貫禄や風情、雰囲気といったものが、こういう場所ではとても大きな意味を持つのですね。さすがのマダムも位負け。オフシーズンだからと手を抜かず、気合いの入った服装をしてくればよかったですわっ。(でも、そんなファッションでビーチに寝ころんだら、ますます変ということには気がついていない・・・)

マイペースで滞在したいならオフシーズンにぜひ

そうはいっても、ニースは本当に居心地のよい場所でした。不思議なことに海風がほとんどないのです。これは快適ですわね。海風って意外とストレスになりますもの。手が届くような距離を飛行機が飛んでいても、さして騒音は気にならないし、聞いた話によるとニースの気温はニュースで予報される数字にプラス5度くらい暖かいのだとか。海は4月終わり頃から泳げるし、旧市街には市場やおいしいレストラン、ブランドブティックもいっぱい。そう、まさにパリが海辺にそのまま引っ越してきたようなところなんですのよ。

目の前に海のパノラマが広がるテラス席で、カフェオレと焼きたてクロワッサンだけのシンプルで贅沢な朝食。自分が置かれている状況のあまりの幸福感に「もうこのままニースにいる!」と、叫びそうになったマダム。でも次の週には有名なカーニバルがはじまるとかで、ホテルから「延泊は無理!」とビシッと断られ、名残り惜しみつつパリへと戻っていったのでした。

みなさま、パリはもとよりフランスにお出かけになるなら、ぜひ時間を作ってニースに足を伸ばしてみてください。特にオフシーズンは、泳げこそしないもののこの地の持つ穏やかでゆったりしたムードが際立っており、気負わずに過ごせることでしょう。実は夜にモナコにも遠征(そしてやっぱり敗北)したのですが、このお話はまた、いずれ。次回はミスターのワクワクするような旅リポートです。お楽しみに! Ciao!

マイフェイバリットホテル

これぞニースの「顔」。行くなら早めに!

誰もがなぜか知っているような気になる「ネグレスコホテル」。そして多くの人が「ホテルはリバーサイド」と混同してしまう「ネグレスコホテル」。その実物は、プロムナード・デザングレの中心部、美しいパームツリーに囲まれてベ・デサンジュ(天使の湾)を見守るように建っています。ホテルとしての創業は1912年。ベルエポック調の印象的なファサードは当時のままで、建物自体が歴史的建造物として指定されています。元々は建築主であるアンリ・ネグレスコの移動拠点と客人のもてなしを目的にしたもので、その「友人」の中にはあのロックフェラーもいたそうです。

このホテルの優美さは「その目で確かめてください」としか言いようがありません。館内の家具は全てオリジナルのハンドメイド、レプリカやコピーではない本物の絵画や調度品。リネンの心地よさ、ビロードの滑らかな手触りと、何もかもが芸術的。誰もが夢のような時間を過ごせるに違いありませんわ。

1957年からこのホテルの経営を手がけ、威厳と格式を保ってきたのがオーナーとなったオジエ夫妻。現在はご主人が亡くなり奥様が一人で奮闘しておられますが、後継者がないことがお悩みの種だそう。わたくしが本場上級階級のマダムにうかがったうわさ話によると、世界各国の有名ホテルチェーンから買収の申し込みが引きも切らないらしいのですが、オジエ未亡人はホテルをこの形のままミュージアムとして保存することを希望していらっしゃるのだとか。となると、ネグレスコが本来のネグレスコでいられる日はそう長くなさそう。みなさま、ニースへの旅行では、どうぞこの尊敬すべきホテルで荷をほどいてみてくださいな。


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