Vol.
160
アメリカのホテルの職場環境の変遷
私がプラザホテルに赴任したのは1994年。当時のオーナーはドナルド・トランプ。プラザホテルの社長は、トランプオーガニゼーションから派遣されたパトリック・オマーリーという人物だった。
当時、私は34歳で彼は42歳。私は、彼に“ブラザー”と呼ばれ、ことあるごとに、話かけられた。彼とはたくさんの思い出があるが、特に心に残っているのは、私がロビーに立っていたときに起きたこと。後ろから肩を叩かれ、振り向いたら「あそこにいる女性の中で誰がいいと思う」と、彼はフロントを指さした。唐突な質問に、私が戸惑っていると、彼は「あいつもあいつも笑顔がない。フロントはホテルの顔だから、奴らの首を切り、ここは華麗なスタッフだけにしてみせる」と言った。私は彼のその言葉の中に、“このホテルをもっと素晴らしいホテルにしてみせる”という情熱を感じた。そして、彼の行動力がそれを可能にするところを見たいと思っていた。だが、それから1年も経たずして、トランプは困窮状態に陥り、プラザホテルを売却したため、結果を見ることはできなかった。
その後、サウジの大富豪がオーナーになると、プラザホテルはフェアモントホテルズに運営されることになり、経験豊富なホテルマンが総支配人のポジションに就いた。私は任期中に、二人の総支配人と巡り合ったが、両人とも優等生を絵にかいたような人物で、パトリックとはだいぶ違った。
そして、「職場は誰もが快適に過ごせる環境にしなければならない。不満を持っていたら、良い接客はできないから」という方針が敷かれ、定期的にアンケート調査が行われるようになった。口に出して言いにくいことはそのアンケートで知らせる。ヒューマンリソーシズは、不満を持っているスタッフを発見したら、必ずそのスタッフが満足できるように改善をはかる。ときには、部下から不満を持たれている上司は追放された。複数のスタッフから不満を持たれる人材は、職場においておくことはできない。サービスレベルの低下につながるし、「私はこんな状態で働かされた」と訴えられかねないからだ。
そうした方針のおかげで、私も10年間の勤務をとおして、会社に行くのが嫌だと思った日は1日もなかった。また、「人種差別があるから、ここで働くのは大変でしょう」と、日本人から尋ねられることがあったが、実際にはそんな思いをしたことは全くなかった。
1994年は、パトリックのような過激な意見が許される最後の時代だったように思う。彼が社長であり続けたら、フロントを華麗なスタッフばかりにできたのか、今でも結果を想像する。
2021.3.18公開
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著者:奥谷 啓介
1960年東京都生まれ。ウエステインスタンフォード&プラザシンガポール、ハイアットリージェンシーサイパン等勤務の後、1994年よりニューヨークのプラザホテルに就職。2005年プラザホテルの閉館に伴い退職。現在はニューヨークにてホテルコンサルタントを、また2023年6月からは長年の夢であった小説家としてデビュー。ホテルマンの経験を活かし多方面で活躍中。
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