Vol.
28
松井選手にニューヨークが沸いた日
その日、私はすれ違う大勢のスタッフから「やったな!」と肩を叩かれた。前日は、松井選手のヤンキーススタジアムデビュー戦。4番バッターを敬遠したあとの満塁での勝負。松井選手がヒットしたボールは弾丸ライナーのあたりとなりスタンドへ飛び込んだ。「いったい日本一と言われるゴジラとはどの程度の選手なんだ?」とみんなの注目の的だっただけに、この一発はニューヨーク中を沸かせた。私は同僚たちから祝福を受け、同じ日本人として松井選手に強い誇りを感じた。
松井選手がプラザにやってきたのはその数日後だった。NHKの取材で長嶋名誉監督がプラザのスイートへ入った。海外のホテルで働いているといろいろな人との絆ができる。私が懇意にしていただいている栄養学の大家、山田豊文先生がスポーツ選手の栄養管理のアドバイザーをされていることから長嶋名誉監督と知り合いだった。そのつながりもあり初対面ではあったが、野球にまつわるいろいろな話しを伺うことができた。
長嶋名誉監督のエスコートを終えてオフィスに戻ってくると、ヤンキース広報の広岡さんから電話がかかってきた。「松井が自分の車でプラザに間もなく到着します。これから長嶋名誉監督と対談になりますので、その間、車を預かっていただけませんか?」私は急いでエントランスに下りた。ドアマンは車をホテルの前に絶対に駐車させない。ピーと笛を吹いて“ここに停めるな”と冷たい対応をする。しかし、外に出てみると、すでに松井選手の車はホテルの正面に横付けされていた。松井選手をさがしている私を見て、ドアマンがやってきた。「俺がゴジラの車の鍵は預かった。心配するな。」そう言って、人差し指でクルクルとキ―を回した。
“ゴジラがホテル内にいる”という噂が回るのは早かった。今度は私のボスから連絡が入った。松井選手に挨拶がしたいという。アメリカの社会では、こうしたボスの願いは絶対的なものだ。無視をすることなど許されない。私は広岡さんに電話をした。「全く問題ありません。間もなく対談が終わりますから、そこでお会いしましょう。」私はボスを連れて部屋へ向かった。ボスは当時ヤンキースの監督、ジョート―リー氏のサインが入ったボールを持ってきた。その横に松井選手のサインをいただき上機嫌となった。その日のプラザは松井選手デ―だった。
後にも先にも、ひとりの日本人がこれほどニューヨークを沸かしたことはなかった。その昔、ヤンキースが優勝すると、プラザの宴会場で優勝パーティーを開くのが常だったそうだ。もし昨年、松井選手がMVPに輝いたパレードのときに、プラザの同僚たちと一緒に過ごせたならば、私は祝福の嵐でぐちゃぐちゃにされたであろう。ホテルという観光産業の中にいてわかることは、松井選手ほど日本から利益をニューヨークにもたらした人はいないということだ。恐らくこれから先もこうした人は出てこないのではないかと思う。ながいことありがとう、松井選手。
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著者:奥谷 啓介
1960年東京都生まれ。ウエステインスタンフォード&プラザシンガポール、ハイアットリージェンシーサイパン等勤務の後、1994年よりニューヨークのプラザホテルに就職。2005年プラザホテルの閉館に伴い退職。現在はニューヨークにてホテルコンサルタントを、また2023年6月からは長年の夢であった小説家としてデビュー。ホテルマンの経験を活かし多方面で活躍中。
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