ミスターMのおいしい旅の話「次の旅はここへ行け!」
Vol.129

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日本人の旅行スキルを奪ったパッケージツアー

さて前回、「海外旅行解禁から半世紀近い時間が経過している今なお、海外でトラブルに遭うと、まるっきりお手上げになってしまう日本人があまりにも多い」という嘆きで終えた本コラム。その原因が実は、私たちにはあまりにもなじみ深い便利でお得なパッケージツアーにあり、これこそが日本の旅行業界がつくり上げてしまった、最大の「功罪」なのではないかと私は考えています。

組織的団体旅行として始まった日本の海外旅行

ここで少し、おさらいを。日本の海外旅行が自由化されたのは1964年のこと。その後、1ドル360円の固定相場制から変動相場制へと移行し、70年代後半にはジャンボジェットや団体パッケージツアーが登場。海外が高嶺の花ではなくなりました。さらに高度成長が後押しとなり、「海外旅行」は目玉商品として社内行事や報奨旅行、商店街のイベントや抽選の景品などのインセンティブに利用されます。その流れに素早く対応し、組織的・継続的・全国的に海外旅行を仕切ったのが農協。つまり日本の団体旅行の先駆けは農協ツアーだったのです。

何も考えず何もしなくても旅ができる日本人

このパッケージツアーとは、実に日本的なものでした。昔から連綿と根付いている、年長者には常にかしずき世話をすべきだとか、客人には上げ膳据え膳が当たり前といった伝統的意識が、バッチリ反映されてしまったのですな。つまり、連れて行ってもらう人は何も考えず、何もしなくても旅ができるというシステムです。こんなスタイルのパッケージツアー、中国や東南アジアで真似しているところも多少はありますが、他の国、特に欧米ではほぼあり得ません。

象徴的なのが添乗員の役割です。欧米の団体ツアーの添乗員を観察してみてください。なんとまあ、偉そうにしていることか(笑)。たいがいロビーに腰を据え、どんと構えています。基本的にお客さんは野放し状態。なぜならば添乗員は、お客さんが何かしたい時にアドバイスする存在であり、そうした知識を持つプロフェッショナルだからです。またお客さん側も自主行動が当たり前。添乗員には何か困った時に助けを求めるだけで、常に世話をし、面倒を見てほしいなどとは思っていません。

時と場合を選ばず与えられるサービスの罪

この正反対を行くのが日本です。初期の頃は、企画、営業、集客して添乗員となる垂直統合型一貫サービスだったため、お客様に「おもてなし」的サービスは自然の流れだったわけですが、次第に早朝から深夜まで、お客さんの一声で何をおいても即アテンドすることを求められ、それが当たり前だと思うようになってしまった。世界に誇れる究極的に素晴らしいホスピタリティではありますが、問題はいつでも誰もがそれを享受していいのか、ということではないでしょうか。

時と場合を選ばずジャンジャン与えられ、しかも受ける方もそういうサービスを快適と感じ、どんどん増長していく。どこかでまずいぞと危惧を抱き方向転換するどころか、ひたすらサービスを付加し、さらに値段も下げることで競争を加熱させていく…。私は若かりし頃そんな状況に業を煮やし、日本からの団体ツアーの添乗員に「もう少しお客さんを教育されたらどうですか。あなた方がペコペコして何でもかんでもしてあげるから、何回も海外旅行をしている人たちなのに、何もできないままなんですよ。それではあまりにつまらないじゃありませんか」とモノ申しましたことがあります。あとで、それこそがサービス業のあるべき姿と信じるむきから、生意気だと大クレームが来ましたけど(苦笑)。

海外旅行はサバイバル体験である

採算性追求や分業化の流れの中、スマートな旅行会社は添乗員をプロとして育てていったし、そういうプロはお客さんを教育しながら顧客化しました。安全に関しては個々の危機管理の問題としてきちんと理解させると同時に、エンターテイナーに徹してお客さんを喜ばせる。つまり旅行することで、お客さんの世界観を広げ、賢くしていくというのが、旅行業の本来の役割だったのです。ところが、実際は賢くさせない方向に進んだんですねえ。まさに愚民化政策です(笑)。だって何もできないお客さんは、また戻ってきてくれるんですから…。一方で、旅に目覚めそういう甘やかしは卒業と感じた人たちは、80年代中頃から個人旅行へと流れていきます。まさに人気ドラマ「ダウントンアビー」でバイオレットがつぶやいた「改革好きの貴族なんて、クリスマス好きの七面鳥よ」ですね(笑)。

日本は親切の極みですが、それはほぼ日本人だけで生活している島国独特の文化の中、サバイバル能力を必要としないからこそ成立するのであって、海外に行ったら当然のことながら通用しません。誰も何もしてくれないし、教えてくれない。むろん言葉も通じません。前回も言いましたが、私は海外旅行とは「他者責任ではなく自己責任」、ある種のサバイバル能力を磨く機会だと思っています。さまざまなトラブルや予期しない問題が起こった時にどう対処するかというのが、旅行でする実は非常に貴重な体験なんです。

海外トラブルで何もできない日本人

そんな時に、優しく気の利いた添乗員が手取り足取り世話を焼いてしまうことで、お客さんが自力で考え、解決する力を削いでしまう。日本人の旅行スキルがここまで低下してしまったのは、そんな超「おもてなし」のせいなんですね。道に迷った時、どうやって戻ってくるのか。移動も手続き観光も食事も全部お任せで、自分が泊まっているホテルの名前すら知らない(本当にそういうケースは少なくないのです!)、いま自分がどこにいるかもわからず、それでどうやって帰ってくるというのでしょうか。

最低でも地図やホテルカードなどを持って、自分がどこへ行って何をするのかくらい把握していれば、いざという時なんとかなります。そういう知恵が働かないし、自己防衛策も思いつかないんですね。日本の団体旅行は添乗員がパスポートを預かってしまうケースが多いけれど、あれも問題外ですよ。I.D.は自分で管理するべきでしょう。なんにせよ日本人は過保護すぎるんです。駅構内のアナウンスも「当たり前だろう」というようなことを延々放送していますよね。そんなのに慣れていたら、勝手に扉が閉まって、停車駅のアナウンスもないような国で電車に乗ったらどうします? まず1人では乗れないでしょう。いや、乗ろうとも思わないか…。

パッケージツアーを卒業しよう

シニアになって自分で何かすることがおっくうになったり、できることは他人がしてくれて当然という意識満載の富裕層なら、手取り足取りのパッケージツアーは問題ありません。しかし、もう何度も海外旅行をしているという人は、自分の旅行スキルを高めるためにも、そろそろパッケージツアーオンリーを卒業してはいかがですか。ましてや、これからさまざまな経験値を積んでいかなくてはならない若い人には、声を大にしてそう言いたいのです。

ところが驚くことに、現代は若い人の方がパッケージツアーを選ぶ傾向にあるのだとか。イマドキの若い世代は、イヤなことや面倒なことを自分でしたくない。恥もかきたくないし、リスクも負いたくない…と、精神的にどんどん幼くなっているようなんです。そういう人が何をするかと言うと、これが、文句しか言わないんですねえ。本来は自分ですべきことができない。それを恥だと感じないから、「やってくれない」とクレームをつける。価値観の大逆転ですなあ(苦笑)。

情報や価値が異なる海外旅行は、想像力を働かせるいちばんの方法です。世界の多様化や異文化に対する柔軟性は、自ら肌で感じ蓄積していくしかありません。時には大変な目に遭い、二進も三進もいかない状況に追い込まれることで、サバイバル能力は磨かれていきます。便利だからと情報デバイスに頼りすぎるのもダメですよ。一度も現地でコミュニケーション取らないまま終わる。見ているのはスマホだけ、なんて本末転倒です。逃げてはいけません。人任せじゃだめです。自分で考えなきゃ何も始まらない。それが、本当にあなたをたくましく、また賢くしてくれる「海外旅行」なのですから!

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