Vol.
37
栄華の象徴プラザホテル
私がプラザに勤務した1994年から2005年までの間に、ホテル内で見かけた映画スターを思いだしてみることがある。プラザのセールスオフィスの入り口から私の上司の個室へ通じる廊下は狭かった。そこを通りがかったときに、女性と軽く肩がぶつかった。私は「Excuse me」と言って振りかえった。すると彼女も振りかえってニコッと笑った。笑顔の女性はサンドラ・ブロック。彼女の主演映画の撮影をするので、私の上司に挨拶に来ていたのだ。
常連ゲストと「オークバー」にコーヒーを飲みに行った時のこと。私の並びに茶髪を短くした細面の顔をした男がいた。眉毛は黒で東洋系の顔。見覚えのある顔なのでよく見てみると、キアヌ・リーブス。映画で見るよりもハンサム。それがそのときの印象だった。
キャサリン・ゼタ=ジョーンズとマイケル・ダグラスの結婚式がグランドボールルームで行われた。私は裏からその様子を見ていた。その晩はメキシコから来る友人がチェックインするのを待って、一緒にバーで飲んで帰った。結局、深夜2時を過ぎてしまったが、それでもホテルの前にはたくさんの人だかりができていた。“アメリカ人も結構ミーハーじゃないか”と思ったのを覚えている。
人だかりと言えば、プラザの周囲が人の頭で埋まっている白黒写真があった。1964年にビートルズが初めてニューヨークに来たときの写真だ。沢山のファンが集まり、59番ストリートまで溢れかえって交通渋滞となってしまったという逸話が残っている。
私の憧れのモハメド・アリも何度か泊まった。ロビーで一人立ちつくしているときに、握手を求めたかったが、ぐっとこらえたのを思い出す。
16階にあるプレジデンシャルスイートは1972年に完成した。最初のゲストはバーブラ・ストライサンドだった。「追憶」という映画の撮影で、その部屋に数カ月間滞在していたのだ。そのスイートはその後15000ドルという値段が付き、世界で一番高い客室だったことがある。
そんなホテルだったから、アメリカ人に「プラザで働いている」というと、興味津津の顔つきをされ質問攻めに合うのが常だった。希なる楽しい職場で働けた幸運に今でも感謝している。
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著者:奥谷 啓介
1960年東京都生まれ。ウエステインスタンフォード&プラザシンガポール、ハイアットリージェンシーサイパン等勤務の後、1994年よりニューヨークのプラザホテルに就職。2005年プラザホテルの閉館に伴い退職。現在はニューヨークにてホテルコンサルタントとして活躍中。
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