建築様式で楽しむホテル

ゴシック様式

11〜12世紀、都市に流入した多くの人々のための救いの場所。大聖堂は「巨大な聖書」だった。

ミラノの大聖堂。カテドラルは文字を読めない市民でもわかる「建築化された“巨大な聖書”」だった。

ゴシック様式を学ぶ

様式が生まれる歴史的背景 〜農村から都会へ流入した大量の人々が、魂の救いをもとめた場所〜

人々がその時代を象徴する大建築(たとえば教会)を建てる時、そのスタイルは、しばしばその時代の経済状況と密接な相関関係があります。ゴシックは、まさに時代の経済状況が生んだスタイルともいえるでしょう。

10世紀半ばまでの西ヨーロッパは、南からイスラム勢力、北からはノルマン人、東からは騎馬民族のマジャール人の侵入の脅威におびえる時代が続きますが、その後は徐々に落ち着きを取り戻します。

変化はまずフランスの農村地域で起こりました。11世紀から12世紀にかけて、森林を切り開いて農地をつくる大開墾運動、そして農業の技術革新により生産が格段に伸びます。食糧事情が好転して人口も急増、フランスでは1100年ごろに約620万人であったのが、その後の200年で2千万人を超えるまでになります。

農業改革が進んだ農村地帯では、生産性が上がって労働力が余り、農家の次男三男はこぞって都市に出ることになります。その結果、都市部では「まわりに住むのは他人ばかり」、互いに疎遠な人々の群れの中に住むという、それまでの西欧の歴史になかったストレスに満ちた環境が生まれます。

そんな中で都市は、精神的な救いを求める人々が急増することになります。

ロマネスク建築が巡礼街道沿いの辺鄙な場所に修道院として広まったのと対照的に、今度は大都市の大量の住民に対して、魂の安息をもたらす聖堂が必要になったのです。当時、わずかな時間にフランス中に広まった聖母(ノートル・ダーム)信仰も、この大都市内におけるゴシックスタイルの大聖堂誕生の推進要因となりました。

文字を読めない市民に対しても図解的に教義を説くことができる「建築化された“巨大な聖書”」として、パリをはじめ、ストラスブール、シャルトル、ルーアン、ランス、アミアンなどの大聖堂が聖母マリアに献じられることになります。

ゴシック様式の特徴 〜もっと高く、もっと光を!〜

様式を解説するときには、他の様式との比較しながらだと分かりやすいので、ゴシックをその前の様式であるロマネスクと比較してみましょう。きわめて大づかみに分類すると、このようになります。

  • ロマネスク建築
    • 人里はなれた僻地に建つ(俗界から隔離)
    • ぶ厚い石の壁、鈍重
    • 厚い控え壁で推力を処理(バットレス)
    • 小さな窓
    • 半円アーチ
    • 交差ヴォールト
  • ゴシック建築
    • 大都会の真ん中に建つ(俗界の中心地)
    • 重い石造を軽快に見せる建築的演出
    • 飛び控え壁(斜めのつっかい棒=フライング・バットレス)で外から押さえる
    • 大きな窓、大規模なステンドグラス
    • 尖頭アーチ(頭の尖ったアーチ)
    • リブヴォールト(時に横断アーチ付き)

(1) 尖頭アーチ

ロマネスク様式などで使用された「半円アーチ」と異なり、文字通り「頭の尖ったアーチ」。天井をより高くし、視線をより上へ誘導するのに有効です。

(2) リブヴォールト

ロマネスクで登場した「交差ヴォールト」に、リブと呼ばれる筋をつけたもの。

(3) フライング・バットレス

より高くなったヴォールト天井は、いっそう外に開きたがる力が強く働きます。ロマネスク様式ではそれを分厚い石の壁で受け止めようとしていましたので、窓も小さくしかあけられませんでした。

ゴシックでは、壁の外側からつっかい棒のようにささえる梁(飛梁=フライング・バットレス)をあてることで、外に開こうとする力を受け止めています。これにより、壁はうすく、そしてステンドグラスをはめた大きな窓も可能となったのです。

ゴシック様式の実例

それでは実際の建物を例にとってご説明することにしましょう。

(1)ノートルダム寺院(パリ/フランス)

内部がすっきりと軽快に見える分、外観はどっしりと重量感に溢れています。

壁のノートルダム寺院(パリ)。外側からつっかい棒のようにささえているのが「フライング・バットレス」。1階の窓は尖塔アーチ型

(2)トレドの大聖堂(トレド/スペイン)

こちらはフランス発のゴシック様式が、スペインに伝播して作られたものの例です。パリのノートルダムと同様、尖頭アーチ、大きな窓、フライングバットレスといったゴシック様式の外観上のすべての要素を見ることができます。(13世紀)

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ゴシック様式を取り入れたホテル

もともとが大都会の大聖堂の建築に用いられた様式ですから、それをそのままホテルにというのは考えにくいものです。

ですからホテルへの応用例があるとすれば、ゴシック様式のデザイン上の特徴、(1) 尖頭アーチ、(2) リブヴォールト、(3) フライングバットレス等の一つまたはいくつかをモチーフとするものが「ゴシック様式」と呼ばれ、採用されているということです。

さらに、大聖堂のイメージとは相当かけ離れて、「○○風ゴシック」というように、それぞれの時代や地域によりアレンジが加わり、一見、「え!これが?」あるいは「どのへんがゴシックなの?」という印象の“亜流ゴシック”または“自称ゴシック”とでも言うべきものもあります。

インターコンチネンタル メルボルン ザ リアルト(メルボルン/オーストラリア)

InterContinental Melbourne The Rialto (Melbourne, Australia)

建設年代が19世紀末(1891年)ですから、もし、学生に建築史を講義する立場であるならば、これは「純正ゴシック」ではなく「クラシック・リバイバル(新古典主義建築)のうちの“ネオ・ゴシック”」に分類すべきものですが、この形式もホテルへの応用事例が非常に少ないので、ホテル建築様式解説上の貴重な資料として取り上げたいと思います。

もともとは「リアルトビル」(事務所+倉庫)として建設されたもので、半円アーチと尖頭アーチが混在しています。隣接する「ウィンフィールド・ビル」(現在はホテルに併合)も、あたかも兄弟のように同様に半円アーチと尖頭アーチの両方が採用されています。ホテル建築にゴシック様式に固有の尖頭アーチが大々的に用いられた貴重な例といえるでしょう。

ホテルのサイトによると、売りは
(1) 「過去と現在の完全なる融合」
(2)「ヴィクトリア女王治世下における商業的景観として、世界で最も優れた事例のひとつ」
(3)「様式と暖かみは唯一歳月の重みのみが紡ぎ出すことのできる質の高さ」
云々。

伝統的保存建築物としてナショナルトラストの管理下にあります。ブルーストーンの玉石舗装の施された二つの建物間の道路には、ガラス屋根が掛け渡され、天井の高い、細長い形状の巨大アトリウムとなり、あらたな魅力が付け加えられています。

場所はメルボルンの市街中心、ビジネス街や展示場+会議場にも近い位置にあります。

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構成・制作監修
栗田 仁(くりた じん)

建築家・東海大学講師。学生時代のヨーロッパ一人旅5週間以来、旅にはまる。世界の終着駅建築、庭園、公共交通機関(とりわけ新世代高性能路面電車LRT)に格別の興味をもっている。著書は世界35の街を描いたエッセイ『街はいつでも上機嫌』(静岡新聞社)ほか。